REIKOからの紹介文
 桜咲く季節です。花の重みで垂れ下がった枝の間を、心地よい風が吹き抜けていきます。
自分の体より大きいランドセルを背負った1年生が、少し緊張した面持ちで通学し始める今、小学校の教師である、森ひとみさんの第2弾「目は口ほどにものをいう」を紹介致します。
 人間の心を大切に育てる姿勢と、その目線での問いかけにはハッとさせられドキッとする母親も多いのでは?私もそう。愛する子供のためと思いつつ実は親の身勝手だったりする事もある。
 森さんは最近、目に力や輝きのない子供が増えている、と感じるそうです。一体それは何故なのか?私たち親の姿の投影なのか?少し立ち止まって考えてみては?生まれたての赤ちゃんのパパママも自分の背丈よりも大きくなった子のお父さんお母さんも、まだまだ〜とか、もう子育ては終わっている〜ではなく、是非!子育てを考える良き機会にして下さい。


VOL.10 「当たり前…でもちょっと違う子育て」(2)
「目は口ほどにものをいう」
(2005 4.11)

 こんにちは!ひとみです。皆さんいかがおすごしですか?
 前回の話の終わりに、「大丈夫かなぁ…と思う子供にも何人か会ってきました」という結びで終わりにしていました。今回は、どのような子に私が不安を覚えるのか少し詳しくお話ししたいと思います。

 まずは、子供たちの「目」です。目を見ていると、子供たちの考えていることや性格がよく見えてきます。
 皆さんは、子供の目線をよく見たことがありますか?

 私はよく、子供に話をするときは、子供の目線や目の様子を見ながら話します。そうしていると、本当にこの子が話を聞いているか、話を聞かずに自分のことを頭で考えているのかがわかるようになります。昔の人はうまくいったものですね、「目は口ほどにものをいう」と。これは、本当のことだと思います。
 今の子供たちは、情報の多い中に生活しています。テレビも遅くまで見たり、ゲームもいろいろあったり…。そんな中、耳にする言葉は数多く、意味が分からなくても覚えていて、そのまま使ったりしていることが多いように思います。だから、大人と話しているのとさほど変わりがないくらいの会話ができる低学年の小学生が目につきます。

 そんなとき、言葉だけを聞いていると、一人前になったような気がして、しっかりしているなぁと思ってしまいます。ところが、実は口先だけであとからは、何もしないという子が結構います。そこで、その子たちの目を見ながら話をしてみると…。目線を合わせない子がいたり、視点が定まらない子がいたりします。また、目線の先がどこを見ているのか、明らかに私の顔ではないな、ということがわかる子もいます。

 少し前に六年生の担任をした時のことです。勤務の最終日の放課後、二人の男の子が私を訪ねて職員室へ来ました。二人は私に別れの挨拶を改めていいにきてくれたのです。とても嬉しく、六年生だけあって立派だなあ、と感心し、一人一人顔を見ながら挨拶を聞いていました。そんな中で、一人の子が「先生、ぼくは中学校へ行っても、吹奏楽へ入って活動を続けます。頑張りますので、機会があったら演奏を聴きにきてください。」と言った時、ふと不思議な感じを覚えました。
 皆さんはこの別れの挨拶を文章で見ているから、何も不思議に思うことなく、立派だなーと感心することでしょう。しかし私は、彼の目を見ながらこの言葉を聞いていたのです。そして不思議な感覚を覚えた…。というのも、この不思議な感覚は彼の目から伝わってきたものでした。

 彼の目は、こう私に語りかけていたように思えました。(先生、ぼくは好きで吹奏楽をやっている訳ではない。)
 彼の目は、私がみたところ“濁った目”をしていました。キラキラした輝きのある、「先生!ぼく中学校へ行っても吹奏楽で頑張るから、応援してくださいね!!」という勢いのある目ではありませんでした。あまり、たとえとして引き合いに出すのはよくないのかもしれないのですが、あえていうと、“鮮度が落ちた魚の目”と重なって見えたのです。彼の目があまり好ましくない状態であるということをさらに印象づけたのが、一緒に来ていた男の子の目でした。もう一人の彼の目は、私の目をまっすぐに見つめ、挨拶をし、笑った時に目も一緒に笑っていて、輝きのある目をしていました。先の彼とは対照的だったのです。建前で挨拶をしている少年と、本音で挨拶をしている少年とが同時に私の前に立っていました。そして、私は先に挨拶をしてくれた少年を、これからもこのまま生活して行くのだろうか…、どこかで張っていた糸が突然切れて、暴れだすことはないのだろうか…。と心配せずにはいられませんでした。
 このように、小学生であっても目の表情に差が出るのは、いったいどういうことでしょうか?
 まず皆さんへ質問です。次のようなとき、皆さんはどんな行動をとりますか?
 例えば、道ばたであるお母さんと近所のお母さんが話をしていたとします。そこへ学校帰りの息子さんが通りかかりました。お母さんが声をかけ、その子が立ち止まり、そのときに近所のお母さんがその子に、「今日は誰かと遊びに行くの?」と声をかけたとします。そうしたら、この子のお母さんはどうするでしょう?あなたならどう考えますか?
 一番望ましいのは、お子さんに答えさせることです。お子さんが話し始めるのを見守ってあげることです。できれば、笑顔で。(そうそう、挨拶をしていない時は、まず挨拶をするよう促すことが先決ですね。)あまり、お子さんが答えたいという雰囲気がない場合は、一言、「どうなの?」と答えをうながす言葉を優しくかけてあげる程度で十分だと思います。子供が自分の言葉で話す、ということは子供に「あなたを一人の人間として認めているのよ。」ということを間接的に教えることになります。子供は自分が必要とされていれば、自分に自信を持って、何にでもチャレンジしようとする姿勢が出てきます。また、周りの人のことも思いやることができます。

 一番お進めできないのが、相手が子供へ質問しているのに、間髪入れず、お母さんが答えてしまうことです。「家の子は、これから塾へ行く予定なんです。」「今日は、○○くんと遊ぶ約束していたのよね、確か。」などと。そうすると、子供の頭の中では、自分が答えなくても親がなんとかしてくれる=自分が特別に何かをしなくても周りがなんとかしてくれるという依存型思考回路ができてしまいます。そうなると、この子は周りで起こることにあまり関心を示さなくなります。学校の中のことでわかりやすくいうならば、係や当番が決まっていても忘れっぽかったり、言われてからではないとしない、といった具合です。また、自分からこれをしたい、あれをしたい、という自己主張が少なくなります。ひどいときには、近くにいた友達が転んでけがをするのを間近で見ていても手を貸したり、声をかけたりしない場合があります。そんなとき、その子はすっかり傍観者なんですね。身近なことにたとえると、隣で人が倒れていても、それが映画の画面を見ているのと同じ感覚になっているということです。映画の画面だと自分が助けたり、声をかけたりする必要はないですから。

 実際に、何校か勤める中で、気になる子が何人かいました。これらの子は、自分の持ち物や友達の持ち物に関心を示さなかったり、自己主張がなく、友達のいわれるがままに遊んでいて、どこか冷たい雰囲気が感じられる子たちでした。家庭での様子を小耳に挟んだところ、どちらの家庭もお母さんがとても話ができる方で、子供よりもお母さんが話す機会が多いようでした。
 このように目線を合わせない子供たちは、親の陰で育ってきている場合が多いようです。特に、子供へ問いかけした質問に対して、子供が答える前に大人が答えている場合の子供は、こうなりがちです。これが、長い間続くと子供の思考は完全に依存型思考になってしまいます。そうなると、自己主張(自分で何かにチャレンジしたいと思うこと)がない状態になってくるので、自分の持ち物を管理することや、自分の行動や言動に責任を持たないまま、大人になってしまいます。

 それから、今の時代は、お父さんもお母さんも仕事で忙しく、しっかりと子供の話に耳を傾けてあげられないことも、この目線があわない子供たちを増やしている原因だと思います。大人の私たちでも、目を見て話を聞いてもらえるととても嬉しいですよね?その聞いてくれた相手とも信頼関係ができてくるものです。また、自分の話を真剣に聞いてもらえるということは、その人に大きな自信を持たせることへもつながります。存在感を与えることができるのです。子供も、目を見て話を聞いてもらえると自分は一人の人間として生きているんだなということを実感するようです。一日5分という短い時間でも、子供と目線を合わせて話をする時間が持てるといいですね。

 もし、お子さんが話をしている時に目線が合わなかったら…。
 次回に具体的にどうしたらよいか、家庭でできることと教室でできることに分けてお教えします。それでは。ご精読ありがとうございました。

森 ひとみ(2005 4.11)

森 ひとみ プロフィール
●出身地:新潟県小千谷市 ●血液型:A型
●趣味:英会話、海外への長期滞在、執筆活動、映画鑑賞



=ワタラッパンな女たち・TOPへ=