VOL.6 運命に導かれて〜72年の歩み(3)(2004 6.25)

様子を聞きに行った東俳の窓口で「まだ間に合うから応募して下さい」と言われ、「考えてみます」とそのまま帰ったものの、納品に行った時に、応募書類を出してしまった。後日オーディションを受けに行ったら、子供ばかりなのでびっくりし「どうしよう。場違いの所に来てしまった。帰ろうか?」でも、「せっかく来たのだから、オーディションってどんなものか見てみよう」と、小さくなって順番を待っていた。
やがて呼ばれて地下の会場に下りていったら、真向かいに好きな女優さんがいらした。「ああ、あの方だ」とひょいと右隣に目を移してまたびっくり。女学校の同級生(と言っても年齢は1つ上の方。ご病身で休学されたため、同学年になられた)小田切みきさんが座ってらした。「どうしよう。やっぱり帰ろうか?」と思ったが「久し振りにお会いしたのだから、お話して行こう。」と決心し、おひとりの先生に見ていただいた後で、お手伝いしていらした方に「あの方、同級生なの。後でお会いできるかしら?」と伺ったら「そうですか。オーディションは2人の方にしていただくので、次はあの方にして頂きましょう」とのことだった。私を見てびっくりした彼女は「どうしたのよ。お孫さんを連れてくる年齢よ。受かったらレッスンに通えるの?」とのたまった。「通える」と答えた私に2、3質問をした彼女に「うちも来てるわよ、あそこに」と言われて見たら、確かにご主人の安井昌三さんがいらした。

オーディションに受かった私は、入所金が必要な事を知り悩んだ。実はここが受かる前に別のところが受かって、そちらに入る手続きを取ってしまっていたので、東俳には受かっても入らないつもりでいた。ところが、前記の様なことがあったので、安井さんご夫婦がお口添え下さったのではと思い、奥さんに伺ったら「芸能方面の事は知らないが、学業はこうだった」と言っておいたと言われ、入所することに猛反対だった下の姉に内緒で、入所手続きをするため入所金を銀行から下ろして来た。

その日は雨が降っていたり(立川の)高島屋に寄って家に戻った私は、鍵を開けようとして愕然とした。お金と鍵を入れた袋を何処かに落として来たのである。慌てて久米川に住んでいるこの姉に電話をした。姉に「鍵はすぐ持って行ってあげるけど、交番に届けたのか」と言われた私は、すぐに駅ビルの一階にある交番に駆けつけた。家の近くの交番のことは全然頭になかった。交番に着いて口を開こうとした私は、落とした袋が目の前の机の上にあるのを見て、思わず「あった」と指を指して叫んでしまった。お巡りさん達がびっくりしてらした。中身をいろいろと聞かれ、確かに私の物だとわかって返して下さった。おまわりさんに、届けて下さった方のお名前を伺い、お礼をどうしたら良いか尋ねたら、「要らないとの事だった」と言われたが、お勤め先と電話番号を聞いて無事家に戻った。姉にはすぐに電話をして迷惑を掛けずに済んだ。
帰途のバスの中で「お金がそっくり戻って来たという事は、入所を止めるということか、入れということか」と思い悩んだ。早速、拾って下さった方に会っていただいてお礼を述べ、訳を話したところ「お礼は要らないから頑張りなさい」と励まして下さった。良い方に拾って頂けて本当に良かった。

さて、こうして無事に東俳の新人養成所に入った私は、現代劇・時代劇(後半1年位)、ムーブメント、日舞、ダンス(バーレッスン・モダン・タップ等)、狂言、歌等を週1回1種目2時間(つまり月に4種目8時間)習った。劇やムーブメントは毎月、その他は月によってあったりなかったりだった。
入所して3ケ月後に初めて頂いた仕事は、日テレの「バラ色の珍生」で助産婦の役だった。「子供を生んだ事もないし、助産婦を経験した ことがない」と尻込みしたら「した事がないことをするのが俳優だ。するのかしないのか!」と言われ、「やらせて頂きます」と即座に答えた。仕事を頂いたことは、クラスの人達には黙っていた。しばらくして、クラスメートの方が「仕事をもらった」とおっしゃったので、「私もこの間」と打ち明けたら、以前よそでお仕事の経験をなさってた方に先に打診がありお断りになったので、私に廻って来た仕事だったようである。この仕事の後、「タイプの仕事では何社も掛け持ちでやっていたが、芸能界でもそうしていいのだろうか?前記の会社ではいいとの事だったが」と思ってマネージャさんに聞いたら「ダメ」ということだったので、前記の会社は辞めることにした。それから5ケ月、他の方達はどんどんお仕事をもらってらっしゃるらしいのに、私は頂けなかった。「どうしてだろう?」と悶々としていたら、やっとフジテレビの「世にも不思議な物語」で、「外で孫を遊ばせているおばあちゃん」という役を頂いた。それから少しづついろいろと頂くようになり、ドラマ「花嫁の介添人」(市原悦子さん主役)で中村梅雀さんの母親役(花嫁-寺島しのぶさん)、「寺内貫太郎一家」で甘味処の女、子供向けドラマ「超光戦士シャンゼリオン」で豪邸のおばあちゃん役、「知ってるつもり?山岡久乃」で山岡さんの最後(病床)の役、スーパーテレビ「内海好江壮絶ガン闘病記」でご本人の役、快傑熟女やスーパーモーニングの再現ドラマで相談者ご本人の役、羽田空港での接客教育ビデオ(旅行者)や相模原市視聴覚ライブラリーの「バリアフリーってなに?」という教育ビデオ(おばあちゃん役)等いろいろとやらせて頂いた。
舞台では、子供のバレエ教室の発表会のお手伝いで、「くるみ割り人形」の中のおばあちゃん役、東俳内の舞台で、新内語りの宮ふじさん(ご存命中だった)ご本人の役、池袋の芸術劇場(中劇場)では、吉本興行の島田洋七さんとやなぎ浩二さんの間で、台本にないことをポンポンポンポン言われ、どこで自分のセリフを言おうかと苦労したり、良い勉強になった。
が、だんだんと先輩が辞められたり、いろいろ仕事を廻してくださったマネージャーさん達が社をやめられたり、中にひっこまれたり、新しい生徒がどんどん入って来たりで、会社の方針も変わってきたようで、思いもかけないことが身に降りかかるようになった。
次回へ続く…

江崎 甲(2004 5.24)

江崎 甲プロフィール/昭和6年12月16日サイパン生まれ・女優・タイピスト

参考資料:江崎家の家族構成図サイパン島について


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