●VOL.7
運命に導かれて〜72年の歩み(最終章)(2004 7.30) 東俳では、いろいろと助言してくださった元マネージャーさんや事務所の方々に助けられながら、一つーつクリアすることが出来た。レッスンも時代劇や殺陣を教えて頂いたりで、いろいろ悩みながらも、もう少し頑張ってみようかと考えていたが、昨年もタレント名鑑の申込金を払い終わって間もなく、ずっと心の支えになってくれて来た人に「東俳を辞めろ」と言われ、過去その人の助言を聞かずに行動したあげく後悔したことが2度もあった私は、今度は後悔したくないと思った。辞める決心をしたものの、僅かではあったがいただいていないギャラが2仕事分残っていたので、それをいただいいてからと、2ケ月近くレッスンを受け続け、8月の最終レッスンの時に事務局の上の方に申し出た。社長さんにはその後でお話するつもりでいたところ、たまたま通りかかられたので、事務局の方が報告された。「もう1年頑張るように」と随分慰留していただいたが、私の決心が変わらないことを感じて下さった事務局の方が「社長、時間大丈夫ですか?」と、社長さんがその場を外して下さるように仕向けて下さり、とにかく手続きは9月入ってからにするようにと、いろいろご配慮下さった。 それから5日後、出先から戻って来た私は、一昨年地元の市民ミュージカルに出演した事がきっかけでお知り合いになれた、海千山千事務所の鯨さんから「芝居に出てくれませんか?」と思いもかけないお電話をいただいた。あまりのタイミングの良さに驚いたが、東俳を辞めることに決めていたので、即座に「出させて頂きます」と返事ができた。でなかったら、ミュージカルに出た時に少々釘を指されていた私は、この好チャンスを逃した事であろう。2日後の火曜日「舞台の仕事を頂いたのでやっぱり辞めさせて頂きたい」と、手続きをさせてもらうことが出来た。事務局への階段の下で、バッタリお会いした元マネージャーさんに、「復活したのかと思った(社長さんとのやりとりをご存じだったらしい)」と言われ訳を話したら「その事務所、大丈夫なのか」と心配していただいたが、即座に「大丈夫です」と答えた。
一昨年のミュージカルは、たまたま新聞でその前年のミュージカルに出演された年配の男性の方の「とても楽しかった」という記事を拝見して「そんなのがあったのか。今年もあるのだったら応募してみよう」と思っていたところ、募集記事を見ることができ、締切り間近に応募することができた。この歳でミュージカル出演など東俳ではとても望めないこと。ギャラはないらしいが、東俳の舞台の時と違って、チケットを10枚持たされるだけで交通費もかからない。後で知った事だが、演出は好きな男優橋爪功さんの息子さん、踊りはバレエの金井先生、歌は国立音大卒で二期会所属の泉山先生と、素敵な先生方にご指導いただけるので、とにかく4月から毎日曜日の午後、稽古に通った。
この後、演出助手の梶原さんのお芝居を拝見させていただいた時、その海千山千事務所がそれまで上演されたお芝居の題名の中に「サイパンってどこにあるの?」というのを見つけ、即演出家で事務所の主の鯨さんに紹介してもらったのが、前述した新しい道に繋がるきっかけになったのである。これが、一昨年の暮れ近くのことで、その後ある事で、私より長姉のほうが鯨さんとかかわるようになり、昨年はサイパンで鯨さんには大分お世話になったようで、大変感謝している。
月2回のワークショップを受け始めて8ケ月位経った頃、市の合唱祭に参加した。初めは合唱だけ(でも、いろいろ工夫をこらした歌い方で)、次は動きを入れて、最後はミュージカル的に、と先生方の構想やご指導が素晴らしいので、合唱祭に参加された他のグループの方々は勿論、観に来てくださった皆さんにとても喜んでいただけた。この時の委員会の会合場所が、家から歩いて行ける近い所だったことだけが理由で委員を引き受けてしまった事でいろいろと大変な思いをし、芝居のほうの皆さんに迷惑をかけてしまったが、また少し人脈が増えたことは、プラスになるだろう。 こうして、いろいろな方々に助けられながら、72年の長い歳月を歩いてくる事が出来た。これからも、神仏に感謝、天国の父母・姉達・親族の皆に感謝、私を支えて下さる友人・知人の皆さん、兄姉達やその子供たちに感謝しながら生きて行こう。これからどんな人生が続くのだろうか?楽しみである。最後までお読み下さって有り難うございました。そして、これを書くようおっしゃって下さった土井美加様とREIKO様、本当に有り難うございました。(平成16年春) |
江崎 甲(2004 5.24) |