宮城県仙台市出身の土井美加と3.11

仙台に住む友達から『大丈夫メール』が来ました!彼女自身恐ろしい体験をしたと思いますが、自身のことより、仕事で仙台港へ行っていた息子と連絡がとれなくなり、心配で心配で眠れない夜を過ごしたようです。翌12日朝、余震と津波警報の続く中ご主人が探しに出たところ・・・以下、彼女からのメール文です。

ご心配おかけしておりますm(__)m
私の方は、マンションめちゃめちゃ…
私達は実家に身を寄せています(大丈夫)。
息子のユウトは、九死に一生で命拾いをしました。2日目の朝、職場(港5丁目で新港の近く)から歩いて帰っているところを、偶然にも探しに行ったパパ達が見つけて、助かりました。
帰って来たときは、抱き合って号泣です。息子の目の前で起きた惨事…津波、石油タンクの爆発、余震の恐怖と寒さとで…夜を越したそうです。息子曰く…地獄絵のようだった…まさか私の息子が!と…現実だったんです。
帰って来たユウトはススで顔は汚れ、膝から下は泥でぐちゃぐちゃ…。
地震のあと夜中まで、ずーっとメールや電話で連絡してても、無しのつぶてで…車が流されて、携帯が無かったんですね!惨事に巻き込まれて、死んでたらどうしようって、もう心配でした。帰って来てくれてありがとうでした!
マサちゃん、ミエと連絡が取れ、みんな無事のようです。
サチとは連絡が取れず、何か情報わかってたら、教えてください!
こちらは毎日、昼夜問わず余震が続き、とても怖いです。
まだまだ、寒い日が続いてるので、風邪引かないように!

ワコ


どんなにユウト君のことを心配したことか…彼女の気持ちを思うと…。ワコとユウト君は会えました!ご主人とユウト君の奇跡のような出会い!本当に本当に、本当に良かった!ワコ、良かったねえ!!サチも無事でしたよ!安心して。
今も、行方知れずの家族を心配し、連絡を待ち続け、探している方達がいます。今後、ユウト君のような奇跡が次々続くことを願っています!! そして、怖ろしい体験をしたユウト君の心と身体がどうぞ癒やされますように!

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東北関東大震災のすべての被害者の皆様にお見舞いを申し上げます!
マグニチュード9.0という国内観測史上最大、世界的にみても最大級の地震…それに次ぐ大津波、地滑り、崖崩れ、今も続く余震… どうしてこんなことにっ!?と、ただただ呆然とするばかりです。
私も故郷が宮城県仙台市ですので、家族・親戚そして親しい友人達が大きな被害に遭っています。避難所の公衆電話からの「とにかく無事だから、安心してね」という連絡も翌日になってからでした。まだ消息の分からない人もいます。個人レベルの電話は、固定電話も携帯も全く通じません。メールもなかなか届かず、12時間もかかって届いたもの、なんと48時間も経ってやっと返事がきたものもあります。返事が来ないものはまだ届いていないのかもしれません。むやみに通信機器を使うのは混乱状態を助長させるのかもしれませんが、せめて無事の確認だけでも!と、誰しも思いますよね!?伝言ダイヤルもどちらかが使い方が分からないとどうしようもありません。
とにかく、まだ行方の分からない方達の無事を祈るとともに、これ以上被害が大きくならないことを祈ります。そして、今も助けを待っている方々を早く助けてあげて下さい!
最後になりましたが、亡くなられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。
※写真は東京都心、市ヶ谷の駅前です。まるで喪に服しているかのように、ひっそりとしていました。11日にするはずだった仕事をしに出かけた時に撮ったものです。
2011年3月13日 美加


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東北関東大震災から一週間経ちました。15日には静岡で震度7強の地震がありました。東京も余震が続いています。昨日はスタジオでディレクターから「地震になったら無理して続けないで止めていいですから。ドア近くの役者さんはすみませんがすぐ開けて下さい。二重扉の外側は本番中も開けたままにしておきますからね」と言われました。私がドアに一番近い役者でした。責任重大です!
福島原発の事故も続き、連日報道されています。計画停電は、自分の家の地域がいつ停電になるのかさっぱり分からないままにあちこちで始まっています。パソコンもiモードも無縁のお年寄りがたくさんいるのに、情報は流していると言うのです。(電話での問い合わせは『東京電力のカスタマーセンター』に)
物が無くなるという不安から、買い溜めをする人が増え、ドラッグストアもスーパーもコンビニもガランと空いた棚が目立ってきています。放射能汚染の不安で、“ヨード”なるものを買い求める人も多数出たとか。昨日仕事帰りにパン屋さんに入ったら、びっくりです!いつもは夜10時までやっているこの店、まだ6時半なのにパンが一つもありません!呆然としていると、ちょうど焼きたてのパンがトレー3枚分出てきました。周囲から人がぱっと寄り、私も2つ買いました。好き嫌いなど考えていられません。
東京駅からは、子供を抱いたお母さんが、東海道新幹線で西に向かい、成田空港からは、在日の外国人の人たちが自国に帰って行ってるようです。
日本中が不安で、ざわざわしています。胸がざわつき落ち着きません。
でもこんな時こそ、『ここ』胸に手をあてて、人として何が大切か自分に聞かなくては、と思います。人間としての『本当のプライド』を持ちたい!と思います。

計画停電を利用した“詐欺”や“義援金詐欺”が横行しているとか…何故ですか!?こういう時に、何故そんなことをするのですか??どうか『ここ』に手をあてて、あなたの大切な人のことを思い出して下さい!そしてその先には、雪の被災地で寒さと空腹を抱えて、不安な夜を過ごしている人がいることを、感じて下さい!

誰かの大切な人、その人の大切な人・・・またその人の大切な人を感じ、私もまた大切にしたい、と思うのです。
地震、津波、火災、原発の不安が一日も早くなくなりますように!
そして犠牲となった方々が静かに眠れる日が来ますように。
なんだかしゃべり過ぎ…ダメですね、やっぱり胸がざわついているのでしょう。何が一番大事か、よく考えます。
2011年3月17日 土井 美加


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3月22日(月)に、長崎で東北関東大震災の被災者に向けてチャリティーフリーマーケットが開催されました!主催の「長崎バリアフリーサークルAmi」は、自らが障がいを持つ30代の女性、管田多津子さんの主宰するサークルで、坂の多い長崎のバリアフリー化を進めるために活動しています。今回も、何ヶ月も前から準備してきた大事な、そして彼女にとって初めての大がかりなチャリティーイヴェントでした。それを急遽「地震の被災地へ向けてのチャリティー」に変更したとのことです。わずか数日の間のその決断力!驚きです。人の痛みの分かる彼女だからこそできたことなのでしょう。
今、全国で、各種自治体やスポーツ選手やタレントなどの有名人による募金活動が展開されています。いえ世界中で。みんなすごいです!「私に何ができるか?!」みんな思いは同じということです。そして、遠く離れた九州にいても、東北にいる被災者に寄り添える人達がいた〜ということ、嬉しいです。
ありがとう!!
2011年3月23日 美加


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また金曜日がきました。東北関東大震災から2週間経ちました。相変わらず余震が続き、原発のこと、そして食物や水の放射能汚染の不安からは解放されません。みなさんいかがお過ごしですか?大丈夫ですか?そんな中、明るい話題を!
先週の金曜日18日の朝6時、震災から1週間めに、やっと無事でいたことが分かった友人がいます!彼は宮城県牡鹿半島の漁師〜海の男です。11日地震の時、彼は小さな舟で“若布漁”の最中でした。彼が急いで浜へ引き返そうとしたその時、近くにいた大きな漁船が全速力で沖へ向かうのが見えました。彼はとっさの判断で、自分も沖に向かう船を追いました!このとっさの判断が彼の生死の分かれ目でした…とは言え津波の起きている海を小さな舟で乗り切るのはどんなに大変だったか…“生きぬく”戦いの源となっていたのは浜にいる家族だったのでしょう。心の中に渦巻くのは妻と子供達、高齢の両親の安否、家のことだったでしょう。その後、津波の押し寄せた浜からは、ご家族全員無事に高台に避難していたことが分かりました!それが分かった時彼はどんなにホッとしたことか…。
もちろん、海に出ていた彼の無事な姿を見たご家族がホッとしたのは言うまでもないでしょう。『家族みんなの無事』、これが最高の喜びだったと思いますが、今彼らは舟も家もなく、石巻の震災を免れた親戚の家に身を寄せています。12人で暮らしているそうです。それはそれで大変でしょうけど、安心して横になれる場所があるのです。良かった!
25年ほど前の夏、私は親戚や友人と共に彼らの住む浜に泊まりがけの旅行に行き、お世話になったことがあります。アワビやウニをお腹いっぱい食べました。思えば、あの時は2日めに台風がきてしまい、宿でトランプばかりしていました。石巻市街地と半島を結ぶ道路が崖崩れで寸断され(今回もニュースでよく出てくる唐桑町のあたりの道路)身動きとれなくなり、2泊の予定の旅行が4泊になってしまいました。トランプ以外何もすることがなく、ただ退屈でダラダラしていました。そして5日めになんとか通れるようになった道を、彼がバンを運転して石巻駅まで送ってくれたのです。石巻駅の周辺はまだ水が残っていました。便利な街の中で育ち、まだ若かった私たちは、台風と戦っていた彼らのそばで何も知らず、呑気にトランプをしていたのです。近所の民宿に泊まっていた私達は帰る日、彼のお父さんにご挨拶に伺ったところ、心なしかお怒りの色が…当たり前です。呑気な私たちは、その時も「怖っ!やっぱり海の男は頑固者だねえ」などと、言っていたのです。自分たちの非常識が、どこから来るのかも考えずに…。
きれいな景色、美味しい海の幸、海水浴やサーフィンの楽しみ…普段は沢山の贈り物をくれる自然が、突然表情を変える時があることを考えていなかったのです。同じ自然が、ある時、どんなに恐ろしい顔で向かって来るかを!! 同じ宮城県に住む私たちでさえ「その恐さ」を知らなかったのです。甘くみていたのです。
もしあの時襲ってきたのが、台風ではなく、津波だったら…私達は高台に向かって、何も持たず、ただ死に物狂いで走っていたでしょうか!? 真剣に逃げていたでしょうか!? 自然を甘くみていた私達は…どうなっていたのでしょう…。
2011年3月25日 美加


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「むすびあいバンダナ」知ってますか?
NPO法人『20世紀アーカイブ仙台』は、昔の仙台の映像収集に取り組んできた団体。一般市民の家に眠っている仙台の暮らしの写真や8ミリ映像を掘り起こし記録するという、仙台出身の私にとってとても興味ある仕事をされています。
今年3月22日以降は東日本大震災での市民生活の写真を募集して、ウェブサイト「『3・11』市民が撮った震災記録」で公開しています。
震災発生間もない頃は、「早すぎるのでは?」という批判もあったとのことですが、過ぎ去った時の写真の収集がいかに大変かを日ごろからよく知っているだけに「今集めなければ消えてしまう」「この辛い経験を遺さなければ」という思いにつき動かされてあえてすぐ行動に!
そして今、そうして集まった映像をより多くの人に見てもらい、心に刻んでもらえるよう、書籍にする計画をすすめているとのことです。その資金の一部になるのが この「むすびあいバンダナ」です!地元仙台の染職人の工場で作られたバンダナだそうです。被災地復興への思いと、この震災の経験を風化させないため、被災者と支える人たちの“思いを結ぶ”黄色いバンダナ、土井も申し込もうと思います。震災後、何をしていいか分からなかった私の目の前に現われたものの1つとして協力できたら、と思っています。詳しくはこちらをご覧下さい!
写真は企画者“アーカイブ仙台”の佐藤正美さんです!7月28日の『クリスロード三瀧山不動尊のお祭り』でのスナップ写真だそうですが〜それってどんなお祭り?すみません、地元を離れウン十年の土井です!!
2011年7月31日 美加


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久しぶりに、仙台の七夕祭りに行って来ました。今年の飾りは、短冊や折り鶴が圧倒的に多く、全国から、そして世界中からのメッセージが笹に結び付けられていました。
写真は、8万羽の折り鶴で作った吹き流し・・・市内の小中学校の生徒・職員が、一人一羽ずつ折った鶴で出来ています。何も無かったような青空をバックに、銀色に輝いていました。
2011年8月11日


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新しい年が 明けました!
 2012年が良い年になりますように!いえ、良い年にしましょう!!
2012年 元旦


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皆様 お元気でお過ごしでしょうか。
もうすぐ 春 という思いも、無邪気に浮かれることができなくなっている今年の春。
昨年3・11の大震災から1年が経ち、「忘れては いけない」という思いと、自分の日々の暮らしに追われて、忘れている時間が多くなり、そのことに気づいては罪の意識に襲われるように…。どうしたら自分の身の回りの人たちを大事にしつつ、被災した方達に心を寄り添わせていけるのでしょうか?
地震 津波 原発事故の被災者の方たちに、生きていく力が湧いてくる日々を送っていただくために、何ができるのだろうか?考え続けていけば、ある日私にも出来ることと遭遇する時が来ることを信じて、長続きする寄り添い方を、探していきたいと思います。
人の力になろうとすることは、それ自体 自分の力になる、と、最近分かってきたから。

復興はまだまだ。
私という人間もまだまだ。 です。
2012年3月11日


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