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其の5 二分脊椎症児を守る会文集「飛翔」より
★ By たっちゃんママ&たっちゃん [2010/2/5] |
● 「がんばれ たっちゃん」 By たっちゃんママ ● |
昭和58年に“二分脊椎症児(者)を守る会”の準備会とし発足し、以来、7年余りの歳月が過ぎ、会の方も絶える事なく進展してきた事を、これまでの会長さん方に感謝致します。 会と共に子供も私も成長してきましたが、この病気を背負い、誕生してきた時の驚き、不安は皆さんと同じ心境でした。 これ迄の事が、走馬灯のごとくよみがえってきますが、その時はとにかく、私達に与えられた試練だと思い、何とか独歩出来るように、また、明るい子供に育てようと、子供の可能性に一喜一憂しながらの日々でした。 早いもので4月からは3年生。喜びいっぱいで迎えた入学がついこの間のように思われます。「いじめにあわないだろうか?」「お友達は出来るだろうか?」と心配は尽きませんでしたが、やさしい先生方、お友達に恵まれ、楽しく登校する姿を見ると、私の一抹の不安も吹き飛んでしまいました。 又、学校側も理解を示して下さり、洋式トイレの設置、2年生のなると教室が2階へ移動し、すると又トイレの設置、階段の手すり等々…。本当に便宜をはかってもらいました。 最初の1年は、先生方に見守られ、恵まれた環境の中で学校生活を過ごしましたが、本当に良く頑張り、子供なりに苦労もあったろうと思います。2年生になり、やはり心配していたとおり、上級生の中から、少し言葉での“いじめ”が出てきました。 「足ののろいやつ」とか「ここで歩いてみろ」「やっぱり歩き方のおかしか」とか、歩き方をまねしながら、ついて回ったり…とあったようです。しかし、子供も負けてはいませんでした。先生に「私のまねをする人が居るので、皆の先生に、私のまねをしないようにクラスの人に伝えて下さい。」と頼んだそうです。 又、毎日送り迎えをしていると、子供達の様子がわかり、ある時はとってもやさしいかと思うと、次の日には無視されたり、楽しいはずの休み時間が仲間に入れてもらえず、ウロウロして淋しい思いをしている時もあるようです。 今後も友達関係が子供と私にとっての一番の悩みになるだろうと思いますが、まだまだ長い学校生活が続きますので、種々な事を乗り越えていけるよう頑張るしかありません。 子供がふっと「世の中悲しんでばかりでは生きていけないもんね。」と言いました。 だから私も「悲しい事があるけど、生きていたら楽しい事や、嬉しい事がいっぱいあるんだから。」と答えました。
これは、ある日の子供と私の会話です。
又、8歳の誕生日を迎えた時、「おかあさん、私のおしっこをもう8年出してくれたのね。ありがとう。」と言いました。 この子は、本当に我が家の天使だと思っています。 これは人権集会の時、「いじめ」について全校生徒の前で読んだ作文です。 この時の勇気をいつまでも忘れずに何事にも挑戦して欲しいと願い、文集に掲載させて頂きます。
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● 「わたしの体のこと、そしておねがい」(小学2年生の時の作文)By たっちゃん ● |
わたしは、二分せきついしょうというびょう気で生まれました。 生まれてすぐ、しゅじゅつをしました。毎日、くんれんをしていたら、少しずつ、足が強くなり、4才の時から歩けるようになりました。
わたしは学校で、かなしかったことがあります。それは上きゅうせいのおにいちゃんが「足のわるいやつがきた」とか「足の歩きかたが、おかしか。」とかいわれたことです。 おかあさんに話したら、「よかったね。」と、いいました。そして、「あやまるということは、とてもゆう気がいることだから、おにいちゃんはえらいな。」と、ほめていました。 でも、ときどき、わたしの足を見て、わらったりする人がいます。 わたしは、みんなといっしょうけんめい、体いくをしたり、がんばっているので、もうわらわないでください。これからも、がんばるので、みなさん、なかよくしてください。 おわり |
この二つの文章は、私がたっちゃんのご家族と出会った日の翌朝、民宿のお台所で‘たっちゃんママ’から手渡された文集「飛翔」〜1989年に二分脊椎症児を守る会発行〜に載っていたたっちゃん母子のものです。 お二人の了解を得て掲載させていただきました。その時たっちゃんママは「この病気のことを、少しでも多くの方に知っていただきたいんです」とおっしゃいました。『二分脊椎症』初めて聞いた病名でした…大きな試練を抱えて生きる少女があんなに明るく見えるのは驚きでした。でもただ明るいわけはなく、日々生きることに真正面から向き合っているご家族の強さを感じ、この文章は私自身の応援歌にもなりました。 その後もご家族には数々の試練、そしてもちろん幸せも訪れました。今も、お二人は助け合い影響し合いながら(たまには喧嘩もするらしいです)人生を歩んでいらっしゃいます。 たっちゃんがこの作文を書いたのは私が出会う前8歳の時でしたが、次回は彼女が12歳の時に書いた作文を掲載させていただきます。障がいを持った少女がどんなふうに人生を切り拓いていったかを感じていただくことが出来れば、と。そしてできれば、あなたの人生の応援歌になれば、と思うのです。 |
土井 美加 |